雑記
ソシャゲ、という言葉が人口に膾炙して久しい。
元来SNSをプラットフォームとしたことに由来するが、そうではないゲームが増加した今となってもなお、ソシャゲは「ソーシャル」な存在であり続けている。
おれは最近、全くソーシャルではないゲームを求めている。
社会的なつながりを要求せず、社会的な要素がゲーム内容に介在しない。
(職場の同僚とプレイとか、吐き気がする)
他人に話したくならないような、プレイするだけで満足できるようなゲームだ。
だが、そんな存在はほとんどない。
ところで、なぜキモオタは石油王に絶対勝てないソシャゲをプレイするのだろう。
なぜ仲間づくりに挫折してきた人間が「団」に所属して走っている?
そのゲーム自体が面白い、という回答をされたら、ご飯にマヨネーズかけて食ってる奴を見るような目で見ることにする。
プレイすること自体が、ソーシャルな体験につながるからなのだろう。
SNSでバズっているゲームに所属しているという属性が欲しいのだ。
SNSとソシャゲはキモオタから孤独を奪った。
精神的な独り立ち、成長の機会を永久に喪った。
社会的な孤立、迫害に反抗、反逆することもないだろう。
だからTwitterが言論弾圧する傾向について、おれは歓迎する。
SNSから撤退するべきだ。
そもそもキモオタは、ソーシャルな存在ではないはずだろう?
カネも社会性も無い人間に対して、仮初めのソーシャルを味合わせるプッシャーどもに対して背を向けるべきだ。
孤立しろ。